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はじめての太宰府天満宮 [ 神社仏閣]

博多に来たので足を伸ばして太宰府天満宮に行きました。
これまで福岡県には何度も来ているんだけど、太宰府にはまだ一度も行ったことがなかったんです。

西鉄太宰府駅を降りて少し歩くと、鳥居があってお店が並ぶ門前町があります。

 

さすがに荘厳な本殿です。

 

梅の紋ですね。

神主さんと巫女さんがいて、厄払いか何かの儀式をしていました。受験かな?

本殿の裏には、菅原道真の家族が摂社として祀られています。これはHPにある境内の地図には載っていないです。
くすのき千年の碑等の裏にも小さな祠があるんですが、それらもなかなか面白いんです。
以前は百済舎とか新羅舎とかの摂社もあったようですが、いまはありません。

奥にある茶屋の前に梅が咲いていました。
今頃がいい時期みたいです。

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本殿裏の崇敬者会館地下1階に菅公歴史館があって、入ってみました。
菅原道真の一生が、博多人形で展示されています。
道真が素晴らしかったという話が紹介されているだけ。なぜこの天満宮が出来たのかについても、道真が素晴らしかったから、ってことになっていますけど、それはウソ。ことはそう簡単じゃないんです。

道真が左遷されて、太宰府に来た。そして903年(延喜3年)2月25日この世を去りました。
そこから都で異変が起きます。
906年、中納言藤原定国が40歳の若さで急死。908年、藤原菅根が雷に打たれて死亡。そして道真追放の主役であった藤原時平が909年4月に39歳の若さで死去(狂死)。
その後、疫病や干ばつ相い次ぎ、930年、清涼殿に落雷があり、大納言藤原清貫など5人が死傷。
こうした不幸な出来事は全て菅原道真の怨霊による祟りであると信じられます。
それで、道真を左遷した醍醐天皇は、ショックで病に倒れ、天皇の位をわずか8歳の寛明親王(ひろあきらしんのう)に譲って、朱雀天皇としますが、その1週間後、46歳で死去します。
これで道真の怨霊は雷神と結びつけられることになったようです。
「天神様」というのは、そういう意味があるようです。

そういう菅原道真の怨霊による祟りを鎮めるために天満宮が建立されたわけです。

ところで、博多の天神っていうのも、やはり天神様に由来しているようです。
天神1丁目にある水鏡神社、水鏡天神に由来します。
菅原道真が大宰府に行く途中、四十川(しじゅうかわ、現在の薬院新川)の水面に自分の姿を映した場所とされる今泉(中央区今泉)に、後に神社が建立され水鏡天神(すいきょうのてんじん)、容見(すがたみ)天神と呼ばれた。慶長17年(1612年)、福岡藩初代藩主黒田長政が、それを福岡城の鬼門にあたる現在の地に移転したとのこと。

もう1つ。太宰府天満宮を観て、その裏山をかなり登ったところにある「天開稲荷」という神社を観てきました。この天開稲荷社は鎌倉末期に京都の伏見稲荷大社からの御分霊を御遷してお祀り申し上げたお社だ、という説明があって、な~んだ、って思って帰ってきたんですが・・。
実は、どうも違うみたい。
神社の真後ろにある「奥の院」は石室で、神社のある小山自体が古墳かもしれない。その古墳の前に道真の寺を建てたのかもしれないのです。
道真の先祖は土師で、それとの関わりがあるのか?

古代史の勉強をしないとわかんないかも。

 


タグ:福岡県
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コメント 2

早野雅弘

太宰府天満宮(2015年)日捲りカレンダーを注文したいのですが
by 早野雅弘 (2014-12-16 12:14) 

とんちゃん

> 早野さん
ご注文は直接に太宰府天満宮さんへどうぞ・・。

by とんちゃん (2014-12-18 21:48) 

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