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客膳料理か保存食か-ラフテーの由来(5) [ 沖縄と食]

沖縄の有名な料理の1つラフテー。琉球王(誰のことは不明)がトンポーローを好きになり、それがラフテーだという話がよく出てきます。またラフテーは宮廷料理だったと言われています。

ところが、非常に興味深い指摘があります。
沖縄の食文化研究家の安次富順子さんは次のように書いている。

「ラフテーは現在客膳(きゃくぜん)料理ですが、昔は保存食でした。

客膳にはンブシ豚、みそ煮豚などが出されており、戦前の豪華なもてなし料理「五段のお取持ち」にもラフテーは見当たらず、ンブシ豚が出されています。ラフテーがいつから客膳料理になったかは分かりませんが、少なくとも私が琉球料理にかかわり始めた昭和四十一年には、すでに客膳料理になっていました。/ 料理は時代と共に変化します。ラフテーが薄味になり保存食から客膳料理に、そして沖縄を代表する料理になったことは喜ばしいことだと思います。」(琉球新報2003年6月17日夕刊コラム「南風(はえ)」掲載。この記事はHPからは削除されているが、googleのキャッシュから引用)

 

本題に入る前に、「客膳(きゃくぜん)料理」とか「五段のお取持ち」について、書いておこう。

沖縄ではかつて、首里の士族階級や上流家庭ではもてなしや祝いの席に、お膳が3つ続けて出される「三献の料理」があった。
これにさらに現在のオードブルのような「東道盆(トゥンダーブン)」や「大平(ウーヒラ)」の2つが加わったものが、「五段のお取持ち」、正確には「五段御取持(グダンヌウトゥイムチ)」だ。これは特別の料理で、昭和の始めごろまでは、特別な祝い事(結婚式、還暦祝、古希祝など)に出された料理だそうだ。

この「五段御取持」の元は、琉球時代の冊封使を歓待したときの料理である「御冠船料理」と呼ばれる料理で、さらにそのルーツは「満漢全席」と言われている。

・「五段御取持」

「五段御取持」はどんな料理だったのか。これは文献がなく、戦後に再現されている。
戦後、沖縄料理の体系化、テキスト化に取り組んだ1人に沖縄調理師専門学校を創立した新島正子氏がいる。彼女は研究会を開いて、献立の史料は残っているがレシピは不明だった宮廷料理「五段御取持」を再現した。

その新島氏の娘が、先の安次富順子氏だ。(安次氏は民間伝承の「ブクブクー」を復元した人としても有名だ。)安次氏が再現した「五段御取持」がネットにある。沖縄県が作成したサイトにそれがある。

さてそこでは、”2の膳(本膳)”に「ンブシ豚」(煮染め豚)がある。しかし「ラフテー」はない。

・御冠船料理

御冠船料理は文献があるが、そこには素材のみが記されていて、それをもとに料理が再現されている。先の沖縄県のサイト内にある「冊封使歓待(御冠船料理)の献立」がそれだ。動画での紹介もある。

ここには、”4の段”は沖縄の食材で作られ、豚の胃袋(ウフゲー)と炒豚足がある。「豚の胃袋は、現在、沖縄でよく食されている豚の中味とよばれるものの原型ではなかったかと思われています。」とある。また炒豚足はアシティビチと同じものであろうとされる。しかしラフテーはない。

この御冠船料理を再現したのは、先の安次富順子氏と田淵光(宮廷料理研究家)だ。

その田淵光が再現した御冠船料理もある。写真で紹介しているページだ。

・ふたたび「五段御取持」

ネットではもう1つ、琉球料理「美栄」のサイトにも五段御取持がある。
その五段料理は「當間信子氏の資料に基づき琉球料理「美栄」の協力を得て再現いた」と注が書いてある。當間信子氏は、那覇の旧家に生まれ、那覇市長を経て戦後は琉球政府行政主席を勤めた當間重剛氏の夫人だ。
「美栄」は古波蔵保好(こはぐら・ほこう)氏の妹の登美氏が開いた店だ。彼女は先の新島氏の研究会の一員でもあった。彼女の逝去後は、兄の古波蔵氏が店を継いだ(その古波蔵も逝去された)。

上記のページには古波蔵保好氏による解説がある。
この解説は、写真の料理そのものを解説したものではなく、「昭和57年6月1日 文芸春秋社 発行 くりま掲載より転載」とあるように、そこに掲載された古波蔵のエッセーで、その後『料理沖縄物語』(1983年、作品社)に「今は幻の五段料理」として収録されている。(1990年に朝日文庫から再刊されたものとともに品切れ。)

さて、その五段御取持には本膳の”2の膳”に「あしてぃびち」と「角煮」があり、”3の膳”に「らふてぇ」がある。

『カラカラ』13号(2004年8月)には、五段御取持が写真入りで載っている。
この五段御取持は、「美栄」の料理長をしていた城間健氏(現在、首里の「赤間風」店主)が作成したものだ。
その”2の膳”には、「ンブシ豚」も「角煮」もなく、「アシティビチ」がある。そして”3の膳”にラフテーがある。
(ところが同誌の9頁に料理の一覧があるが、これは「美栄」のものと同じになっているようだ、しかしどういうわけか”2の膳”の「角煮」が「ラフテー」と書かれている。)

同誌には御冠船料理も載っているが、それは先の県のサイトのもの(動画)と同じもの使われている。

さて本題に入ろう。

安次が再現した五段御取持には角煮もラフテーもなく、本膳の”2の膳”に「ンブシ豚」がある。御冠船料理にはラフテーも角煮もンブシ豚もないが、炒豚足(アシティビチ)がある。

しかし「美栄」の五段御取持には”2の膳”に角煮、”3の膳”にラフテーがあり、「赤間風」では”2の膳”にアシティビチがあり、”3の膳”にラフテーがある。

元来の五段御取持にはラフテーも角煮もなく”2の膳”にンブシ豚があったが、その後、”2の膳”のンブシ豚が角煮となりあるいはアシティビチとなり、さらに”3の膳”にラフテーが加わっている、というふうに理解できようか。

安次富順子氏によると、戦前の客善料理に出されていた料理はンブシ豚=みそ煮豚で、これに対して、ラフテーは濃い味の保存食で、客善料理ではなかった。
それが薄味になり、昭和40年代には客膳料理になっていて、さらには沖縄を代表する料理になったというのが安次氏の説明だった。

客膳料理ではなかったラフテー、「保存食」であった戦前のラフテー、豚肉を濃い味で煮込んだものは、誰にどのようにして食されていたんだろう。

もう1つ興味深いのは、ラフテーとは異なる「角煮」の存在だ。これは何なのだろう。


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