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高野病院のこと [3.11以後]

福島県広野町の高野病院のことを記事にしました。
その高野病院に関する情報をまとめておくことにします。

◆弊ブログの記事

高野病院は、1980年にいわき市に隣接する広野町で開設された内科と精神科の個人病院で、地域医療の充実に貢献してきました。
 ⇒高野病院HPhttp://takano-hosp.jp/

広野町は、福島第一原子力発電所から20km圏ラインのすぐ外に位置します。
3月13日に、町は全町民に対して避難指示を発令し、政府は4月22日に福島第一原子力発電所の半径20~30kmの地域を「緊急時避難準備区域」に指定し、町民が避難させられた。
そして同年9月30日に避難指示区域の指定が解除され、避難していた役場は2012年3月1日になって広野町に戻った。

高野病院は、一時、入院患者の多くを他の病院に避難させましたが、その後、多くの患者が病院に戻り、現在も約100人の患者が入院しています。
その高野病院の院長・高野英男氏が昨年12月30日に火事で亡くなられた。
病院継続に向けて困難な状況にあること、また町が寄付を募っていることなどを記事にしました。
 ⇒原発に一番近い病院院長の孤独な死を悼む
    :http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2017-01-01-2
 ⇒原発被災地・広野町の高野病院を支援したい
    :http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2017-01-15-1

 

広野町は「ふるさと納税制度」の仕組みを使って寄付を募っています。
 ⇒
地域医療を守るため原発事故後唯一留まった高野病院を支援します
  :https://readyfor.jp/projects/hirono-med

 

 

◆高野病院の現状:尾崎章彦氏の記事

院長が亡くなられてから現在までの状況は、「高野病院を支援する会」事務局長の尾崎章彦氏(南相馬市立総合病院医師)が、レポートを公表しています。

 ⇒「地域医療より箱物行政の福島県、高野病院を見殺し あきれた行政の対応に立ち上がったボランティア医師グループ」:http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48855 JBpress(2017年1月6日)

 ⇒「院長がご逝去された後の高野病院の窮状とこれまでの福島県の対応
  :http://medg.jp/mt/?p=7272 医療ガバナンス学会 メールマガジン(2017年1月19日)

 

福島県を含めた協議が行われましたが、4月以降については全く不明という現状です。

 

 

◆書籍での紹介

震災直後から病院を維持する困難はそれは大きく、高野病院の関係者の努力は大変なものでした。
そうした震災後の様子は本にも書かれました。

朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠 3』(2013年、学研パブリッシング)
東京新聞編集委員 井上能行『福島原発22キロ 高野病院奮戦記 がんばってるね! じむちょー』(2014年、東京新聞出版局)

 

プロメテウスの罠 3 福島原発事故、新たなる真実 プロメテウスの罠シリーズ

プロメテウスの罠 3 福島原発事故、新たなる真実 プロメテウスの罠シリーズ

  • 出版社/メーカー: 学研プラス
  • 発売日: 2013/01/29
  • メディア: Kindle版

 

 

 

福島原発22キロ 高野病院奮戦記  がんばってるね! じむちょー

福島原発22キロ 高野病院奮戦記 がんばってるね! じむちょー

  • 作者: 東京新聞編集委員 井上能行
  • 出版社/メーカー: 東京新聞出版局
  • 発売日: 2014/03/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

 

 

◆高野病院理事長・高野己保氏の記事

昨年1年間、高野病院理事長の高野己保さん(高野院長の娘さん)による、高野病院の現状報告や問題提起が医療ガバナンス学会メールマガジンに掲載されていました。

本に書かれていない、多くの問題がそこには具体的に報告されています。

「原発被災地の医療は今」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第1回(2016年1月19日)
「地域医療はだれのもの?」 福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第2回(2016年1月19日)
「データは本当に正しいの?病床は本当にいらないの?」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第3回(2016年3月3日)
「避難と外部からの支援の途絶と」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第4回(2016年3月9日)
「そこに存在してはいけないとされた病院」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第5回(2016年3月10日)
「診療報酬改訂の荒波で病床が流される」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第6回(2016年7月18日)
「加害者がルールを決めるの??」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第7回(2016年8月26日)
「就業規則を改定しましょう!!」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第8回(2016年9月29日)
「地域医療を考える人はだれ??」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第9回(2016年10月25日)
「和解の本当の意味は??」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第10回(2016年11月22日)

今年になって、まだ新たな記事は掲載されていません。
昨年末に高野院長が亡くなり、病院の継続問題が大きな課題となっているためでしょうか。

理事長の高野さんは、福島県に、病院は無償で提供することを提案していますが、県からの回答はないようです。 地域医療を守るために前向きな方向に向かってほしい。

なお、2月26日にいわき市で高野英雄院長のお別れ会が開催されるそうです。
改めてご冥福をお祈りいたします。


原発被災地・広野町の高野病院を支援したい [3.11以後]

1月2日に、福島県双葉郡広野町にある高野病院院長の高野英男さん(81)が亡くなったらしいという記事をアップしました。
 ⇒原発に一番近い病院院長の孤独な死を悼む:http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2017-01-01-2

その後のことを中心に記事にします。

 

◆高野院長の死

2016年12月30日午後10時半ごろ、高野病院の隣にある高野英男院長の自宅が出火。
室内から発見された男性の遺体が高野院長らしい、というのが先の記事です。

1月3日に、遺体は高野院長だと福島県警が発表しました。
改めてご冥福をお祈りいたします。

 

◆高野病院と高野院長

広野町は福島第1原発から20~30キロの距離にあります。
その広野町で、高野病院は入院に重点をおいた地域医療に取り組んできました。
入院患者の多くは高齢者の方々です。

その高野病院は、原発事故後も避難せずに入院医療を続け、いまも約100人が入院中です。

双葉郡にたった1つ残った医療機関である高野病院は、地域の高齢者だけでなく、除染など復興作業に携わる“新たな住民”の医療にもあたってきました。
私財を投じ、ご高齢にもかかわらず、まさに身を削るように、その身を地域医療にささげてきたのが高野院長です。

takano.jpg 

NHKのETV特集「原発に一番近い病院 ある老医師の2000日」(2016年10月8日)でその様子が放送されました。

その番組が再放送されますので、ご案内します。

来る1月21日(土)午後11時~ 午前0時にEテレ「ETV特集」で再放送されます。
みなさま、ぜひご覧くださいませ

 

2013年までのことは書籍にもなりました。 

福島原発22キロ 高野病院奮戦記  がんばってるね! じむちょー

福島原発22キロ 高野病院奮戦記 がんばってるね! じむちょー

  • 作者: 東京新聞編集委員 井上能行
  • 出版社/メーカー: 東京新聞出版局
  • 発売日: 2014/03/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

 

◆高野病院のその後

問題は、これからの高野病院と地域医療です。

100人もの入院患者がいる中で常勤医の院長が亡くなったのですから、事態は急を要しました。 

広野町町長の遠藤智氏がすぐに対応されました。
12月31日から、浜通り(福島県沿岸部)の自治体・医療機関に要請を行い、南相馬市立総合病院などが支援を表明しました。

また、南相馬市立総合病の尾崎医師や浜通りの有志の医師が「高野病院を支援する会」を立ち上げました。
 ⇒高野病院を支援する会fecebook:https://www.facebook.com/savepatientakano/
 ⇒高野病院を支援する会HP:http://savepatientakano.sakura.ne.jp/

 

1月3日には、広野町の遠藤智町長が記者会見を開き、町が全面的に支援することを表明しました。
そして町長が「高野病院を支援する会」の会長に就きました。
この間のことは、JBpressの尾崎氏の記事が福島県の対応を含めて公表しています。
 ⇒尾崎章彦「地域医療より箱物行政の福島県、高野病院を見殺し
  あきれた行政の対応に立ち上がったボランティア医師グループ」
  :http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48855


現在のところ、2月~3月は東京都立駒込病院に勤務していた中山祐次郎医師が高野病院の院長を務めることになりました。
しかしその後の院長のことは決まっていません。

 

◆クラウドファンディングによる寄付

高野病院の支援のために、全国からボランティアの医師たちが無償で集まっています。

1月9日、広野町は、地域医療の崩壊を防ぐため、インターネット上で資金援助を募るクラウドファンディングを呼び掛けています。
目標金額の250万円は、医師が町に来る交通費や宿泊費の補助費用の約3ヶ月分として算出しています。

また寄付は「ふるさと納税制度」の仕組みを使っていて、所得税や住民税の控除対象になります。
 ⇒地域医療を守るため原発事故後唯一留まった高野病院を支援します
  :https://readyfor.jp/projects/hirono-med

 

kihu

 
目標の250万円は集まりましたが、2月末まで募金は続いています。

この寄付にご協力いただけますことを呼びかけます。
地域医療を守るため原発事故後唯一留まった高野病院を支援します
  :https://readyfor.jp/projects/hirono-med


原発に一番近い病院院長の孤独な死を悼む [3.11以後]

昨年2016年10月8日に、NHKのETV特集「原発に一番近い病院 ある老医師の2000日」が放送されました。

原発に最も近い高野病院。復興作業に携わる“新たな住民”や居場所を失ったお年寄りの最後のとりでです。
奮闘する院長の高野英男さん(81)の2000日を見つめます。

福島第一原発から22キロ離れた双葉郡広野町の高野病院
院長の高野英男さん(81)は現役の医師として診療を続けている。
5年前の原発事故で、病院を取り巻く環境は大きく変化した。原発周辺の病院が休止しているため、救急車が殺到。
地域医療が崩壊する中、除染など復興作業に携わる“新たな住民”や、原発事故によって居場所を失ったお年寄りたちの最後のとりでとなっている。
孤軍奮闘する老医師、その2000日を見つめる。
番組HP:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2016-10-08/31/32713/2259551/

 

この番組は1月21日(土)午後11時00分~ 午前0時00分にEテレの「ETV特集」で再放送されます。

takano.jpg

広野町にあるのはこの病院と診療所が1軒。
その高野病院にいる常勤医師は高齢の高野院長ただひとり。

元々は精神科の医師であった高野氏は、30年以上前に医療空白地であったここに病院を開業。
病院の入院患者は100人を超え、平均年齢は84歳

震災直後、行政は高野病院の入院患者の避難を病院側に求めた。
しかし高野医院長は、移送、転院できる患者もいるが、それによって病状を悪化させる可能性がある患者もいること、また計測した放射線量からみて安全と判断し、病院を非難させなかった。

そのことは、朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠 3: 福島原発事故、新たなる真実著者』に書かれています。⇒Googleブックスでプレビュー

プロメテウスの罠〈3〉福島原発事故、新たなる真実

プロメテウスの罠〈3〉福島原発事故、新たなる真実

  • 作者: 朝日新聞特別報道部
  • 出版社/メーカー: 学研パブリッシング
  • 発売日: 2013/01
  • メディア: 単行本

 

高野病院の2013年までのことも出版されています。

福島原発22キロ 高野病院奮戦記  がんばってるね! じむちょー

福島原発22キロ 高野病院奮戦記 がんばってるね! じむちょー

  • 作者: 東京新聞編集委員 井上能行
  • 出版社/メーカー: 東京新聞出版局
  • 発売日: 2014/03/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

 

双葉郡で診療を続けるただ1つの病院だから救急搬送の要請が殺到する。
外来に訪れる地域住民はストレスで心と体が蝕まれ、それをここで癒している。

復興作業に携わる人や居場所を失ったお年寄りのまさに「最後の砦」。
81歳の院長はよろけながら歩いている。
老身にまさに鞭を打つようにして、夜間の救急診療や昼間の診療に従事する高野医師が描かれました。

 

ところが、年末に悲しいニュースが伝わりました。

2016年12月30日午後10時半ごろ、高野病院の隣にある高野英男院長の自宅が出火
室内から男性1人が遺体で見つかった。
それが高野院長だという記事が見つかりませんが、間違いなくそうです。
とても心が痛いニュースです。

心からご冥福をお祈りします。
そして高野病院の今後をぜひとも守ってほしいと願います。

1月9日までは南相馬市立総合病院の医師がサポートすることになったそうです。
その後について、県や国もぜひしっかり対応してほしいです。

※すぐにアップするべき記事だったのですが、遅くなってしまいました。


JR仙石線の新駅 野蒜駅と東名駅 [3.11以後]


東松島市の記事をいくつかアップしましたが、
東松島市は松島町の東、石巻市の西にあります。


ピンクのところが東松島市。
市内を東西にJR仙石線が走っていました。


3.11の大震災と津波は甚大でした。

東松島市の森林を除く面積は6,982haですが、津波の浸水域は3,419haで、半分の土地が津波で浸水しました。
津波と地震による家屋の被害は、全壊・半壊が11,054戸(全世帯の約76%)、一部損壊を含めると14,564戸(全世帯の約97%)で、ほぼ全ての家屋が被災してしまったのです。

image
仙石線は、かつては運河沿いの赤線のところにありました。
海岸は海水浴場なので、そこへのアクセスによかったのです。
しかし東日本大震災の津波で、線路も駅舎も甚大な被害を受けたため、仙石線は内陸に移転しました。

その移転前後の駅を見てみました。

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日和山から見た石巻市の様子 [3.11以後]

宮城県石巻市。
ここも東日本大震災の津波で広範囲に被災しました。

石巻市街地に、日和山という高い山があります。
昨年12月に、そこから市内の様子を眺めました。
 → 日和山から観た、いまの石巻市:http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2015-12-09-2

今年6月の様子を、以前と比べながら紹介しましょう。

石巻市2
石巻湾に注ぐ旧北上川の河口近くの西側に小高い丘があります。それが鰐山(わにやま)。
その南東部に突き出た部分、それが日和山で、標高60mもあります。
そこから市内の様子を見てみました。

昨日の記事にチョコっと書いた「斎太郎節」。
その3番に日和山が登場します。
 ♪石巻サーヨー その名も高い(ハ コリャコリャ)
  日和山トエー あれはエーエ エトソーリャ 大漁だエー

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知人から届いた熊本地震被災の1現状 [3.11以後]

熊本県での地震がまだ続いています。

昨日、帰宅したら福岡在住の知人からハガキが届いていました。

彼の実家は熊本市で、しかも市内でも被害が大きい東区の近く。
そこには80歳代のご両親が暮らしています。
現下の地震で、実家は倒壊しないまでも惨憺たる状況になり、高齢のご両親の健康が心配です。

彼からの葉書の内容は、電話で確認できた実家の被災状況を冷静にかつ淡々と書かれているのですが、それがかえってリアルな被災の状況を伝えています。
それは、マスメディアが伝える情報とは、たぶん全く違う、被災者(両親)への心からの同情(同一心情)からする情報だからだと思います。

そしてもう1つ。
身近な人、知り合い、友人が関係していると、その事実が単なる情報、遠くで起きている自分とは無関係な他人事としてではなく、自分に関わるリアルな現実として受け取ることができるということを改めて実感しました。

その葉書の内容をここに転載します。

「熊本地震」について、実家と両親の現状報告です。

両親や親戚に電話で問い合わせた結果ですので、不正確な部分も多々あると思いますが、ご了承ください。

熊本市中央区***にある実家。
「中央区」と言っても「東区」まで徒歩10分弱、最も被害の大きかった「益城町」まで車で20分弱の距離。
しかも築50年ほどの木造2階建ての家ですので、今回の地震で被害を免れることはできなかったようです。

ブロック塀は全て崩壊、屋根瓦は4割弱が被害を受け、窓ガラスの状態は不明。
室内は冷蔵庫、電子レンジをはじめ家電、家具は全て倒壊・移動し、食器棚のガラスは全て割れ、椅子・テーブル類も全損。
棚類の中のものは全て床に散乱・破損し、足の踏み場もなく、靴で歩かないとケガをする状態。
畳・フローリングの状態は不明です。

外観上ひび割れはあるものの、二階が一階を潰すことはなく、家の形は残しております。
ただ壁内部や屋根裏の柱・梁・土台・配線・下水道などの状態は不明な点も多く、今後の調査を待っている状態です。

電話・電気は通じていますが、断水で、ガスは「点検が終わるまで使用を控えるように」との指示が出ており、両親は徒歩5分弱の**小学校に避難しております。
食料・飲料水は家に備蓄してあるものを消費しているようですが、いつまであるかは不明。

ただ両親とも齢80歳を優に超え、特に母親は、日常でも慢性的な腰痛を抱え、いつ車椅子生活になっても不思議でない程に足腰が弱っているため、今回の地震とその避難生活で、本人は気丈に振舞っているものの、入院が検討されるほどに衰弱しているようです。

私は熊本への公共交通機関が復旧し次第、実家へ赴きます。

以上、乱文ながら、取り急ぎ報告まで。
2016年4月17日23時13分記。


激しく続く「余震」で不安な日々を過ごされていることと思います [3.11以後]

14日に熊本県で発生した大地震が「前震」で、さらに大きな「本震」があり、今日もまだ余震が連続しています。
「余震」と言ってもかなり強い地震で、被害が拡大しているのが心配です。
非常に多くの方々が避難所での生活を余儀なくされ、避難所に入りきれない人もいるようです。
避難所生活は精神的にも肉体的にもきっとつらいことと思います。
こんな強い余震が続く中では、安心して休んだり寝ることがきっとできずにいることでしょう。
避難生活はまだしばらく続くことと思いますから、しばらく耐えなければならないかもしれません。
心苦しい限りですけど、この緊急避難の時期をなんとか乗り越えられますことを願っています。

追記:
当初は「食べある記」の記事を以下に載せましたけど、どうしても心が落ち着かないので、削除しました。
記事は後日、再掲載いたします。

 


熊本・九州で大地震 [3.11以後]

熊本県益城町を震源とする地震が発生(M6.5)。
活断層による直下型の地震は、震度7という恐ろしい地震で、阪神淡路大震災のときのようです。
しかしそのすごい地震が「前震」で、本日16日の地震(M7.3)が「本震」だということにはさらに驚きました。

強い余震が続いて、被害が一層深刻に、かつ広範囲に及んでいます。
マンションが崩れたり市庁舎が倒壊したり、甚大な被害が続いています。
津波被害がないのがせめてもですが、多くの方々が避難生活を余儀なくされています。
地震がまだ続き、しかも今夜からは雨風が強くなってくるそうで、心配です。

避難生活を余儀なくされている大勢の方々は大変な苦労をされていることと思います。
救援・支援も増強されています。
力を合わせてこの苦境に対応してください。

私にできることといえば、せめて義援金を拠出するくらいかもしれません。


NHK生放送の震災番組、カンニング竹山さんの福島発言にエール [3.11以後]

東日本大震災から5年、新聞やTVで特集が組まれています。

一昨日、NHKは「特集 明日へ つなげよう」を宮城県名取市閖上(ゆりあげ)をキーステーションに放送しました。
糸井重里さんやサンドウィッチマンさんたちも出演していた。
その生放送の番組中にカンニング竹山さんがブチ切れた
発言の主旨はこういうこと(発言どおりじゃありません)。

福島第1原発の事故のせいで、5年経った今も帰宅困難者たちがいることについて無関心でいていいのか。
その原発は東京電力の発電所で、その電気を使っていたのはわたしたち関東の人間だ。
電気を使っていた関東の人にとって、福島のことは決して他人事ではないはずだ。


全くそのとおりです。
もちろん原発を作ったのも、また事故を起こしたのも東京電力がやったことで、それ自体にわたしたちの責任は無い。
しかし危険な原発を他県に任せておいて、そのメリット(電気)だけを享受してきた。
その結果、多くの人がいまだ避難生活を強いられていることに無関心であっていいはずはない。
それをガツンと発言したカンニング竹山さんにエールを送りたい。

このことを取り上げたブログをリンクしておきます。
  「カンニング竹山、NHK震災番組で放送事故寸前のブチ切れで炎上!?放送内容は?」

竹山さんは定期的に被災地を訪れているそうで、福島県いわき市を訪れた様子が3月11日のフジテレビ「ノンストップ!」で放送されたそうです。(見なかったけど。)
  「【ノンストップ】カンニング竹山の被災地支援をツイッター民が称賛」

そして、竹山さんが3.11の深夜に発したTwitter。
東日本大震災被災地の今を紹介したメディアに対するでの苦言も評判となっている。

3月11日が間もなく終わる。今日メディアでは被災地の今と称して辛く悲しい映像に音楽を合わせそんな物語ばかりを流していたと思う。それが視聴者にとってイメージ通りの被災地だとでも言うのかよ。違うよ!皆、普通に明るく元気に暮らしているのに。そこもちゃんと報道してよ〜と思ったりした1日。

カンニング竹山さんのTwitter


今日は3月11日 仙台市天文台制作「星空とともに」を観ました [3.11以後]

あれから5年が経ちました。 

津波の犠牲になって亡くなられた方々は2万人にも及びます。心からお悔やみいたします。
家族、親戚、知人をなくされた方は今も悲しい、癒されない思いをお持ちと思います。
仮設住宅に暮らすなど生活の再生がいまだ果たされていない方もたくさんいらっしゃいます。
原発事故のせいで避難生活を余儀なくされている方も大勢いらっしゃいます。
亡くなられた方への補償金や保険金、避難生活や休業への補償金をもらったせいで批難される、被災者バッシングが生じているのは、とても心苦しいです。

そんな方々に何もしていない自分。
せめて被災した東北のことは決して忘れない、ということを心に決めています。
3.11にそう思うことは大切ですが、この日だけでなく、いつもそうしていたいと思っています。

その3月11日の今日、プラネタリウムに行きました。
プラネタリウムと3.11と、なんか関係があんの?

実はあるんです。
仙台市天文台が制作した「星空とともに」というプラネタリウム用の番組があるんです。
それを観にいきました。

そんな番組のあることは、式守錦太夫さんのブログで知りました。
式守さんのブログ記事:3月12日(土)プラネタリウムの震災特別投影を行います!

20160305星空とともに.jpg
(式守さんのブログから)

ブログの内容は、式守さん達が行っているプラネタリウムの活動の中で「星空とともに」を投影するというもの(上映じゃなくて「投影」って言うんですね)。
ホントは今回初めてこの番組を知ったわけではなくて、昨年の式守さんの記事で知りました。

今回は3月12日(土)に大宮で投影ということなのですが、自宅から夜に行くのはちょいと遠い。
でも紹介されているさいたまプラネタリウムクリエイト(SPC)のサイトで、他の地域での投影の情報がありました。
残念ながら茨城県ではないんだけれども、行けそうな場所で投影されることを発見!ヽ(^◇^*)/

東武スカイツリーライン西新井駅から徒歩3分のところにある東京都足立区の体験型複合施設「ギャラクシティ」で投影するというのです。
そこで今日、行って観てきました。

20150211星空とともに.jpg
(画像は式守さんのブログより。クリックすると大きくなります。)

ギャラクシティでの解説

東日本大震災の夜、大停電の被災地を照らしたのは、見たこともないような満天の星でした。
その輝きに被災者たちは何を見たのでしょうか?
被災者から寄せられた星と震災にまつわるエピソードをもとに、仙台市天文台が制作したプラネタリウム番組をギャラクシティで特別上映!
東北地方を中心に未曾有の被害をもたらした東日本大震災の発生から約5年。多くの尊い命が失われた震災の記憶を風化させないため、「星空とともに」を通して、もう一度特別なあの日を思い起こし、今なお復興の途中にある被災地の現状に思いをめぐらせます。


震災のせいで停電になった仙台市では、地上の光が皆無となったために、夜空は満天の星空となった。
番組内では、あの夜の夜空に感じた被災者の思いがいろいろと朗読されます。
その夜空は素晴らしく美しく、被災者の心を癒しもしたでしょうし、地上の悲惨とは無縁の無情を感じた人もいました。
それぞれの思いをじっと聞きながら、プラネタリウムの夜空を眺めるという番組でした。

プラネタリウムの中、真っ暗闇の中で静かに美しい夜空を眺めながら、朗読を聞く。
語られる言葉を1つ1つかみ締めながら聞きました。
その中で一番悲しかったのは。
夫婦が、30歳の娘と孫娘(たぶんそうだと思います)を探し歩いて、やっと再開する。
やっと再開できたふたりは、明るい星に導かれて、きっとふたりいっしょに天国へ行ったのだろう、というもの。
涙がこみ上げて来るところで、アンパンマンのテーマソングが静かに流れ出す。
泣かせればいいという演出ではないんですね。

3.11には黙祷する以外に、とくに何かをする、ということはこれまでありませんでした。
でも今回はこんな静かな体験をしました。
静かに3.11を振るかえる。そんなことができたと思います。
できれば、来年も、もう一度この番組をみたいものだと思います。

そして、そうかプラネタリウムっていろんなやりかたがあって面白いんだな、ってことを知りました。
式守さんに感謝です。(合掌)


以下は記事本来の内容からは蛇足ですが、会場のギャラクシティ利用者には有益な情報かと思います。

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