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浪江町から常磐道へ [3.11以後]

今年の3月のことです。
息子と一緒に東日本大震災の被災地を巡るツアーをしました。
テレビでの情報しか知らない息子に、その目で見た方がいいよ、と言って親子の男2人旅です。

岩手県陸前高田市、宮城県気仙沼市、石巻市、仙台市荒浜、名取市閖上(ゆりあげ)へ。

さらに常磐自動車道の南相馬市ICから南相馬市、浪江町の中を走行しました。

namie_map
福島第一原発は、大熊町・双葉町にまたがってあり、浪江町はそのすぐ北、南相馬市はさらにその北にあります。

 

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宮城県名取市閖上で [3.11以後]

中断していた被災地巡礼の記事です。

今年の3月のことです。
息子と一緒に東日本大震災の被災地を巡るツアーをしました。
テレビでの情報しか知らない息子に、その目で見た方がいいよ、と言って親子の男2人旅です。

岩手県陸前高田市、宮城県気仙沼市、石巻市、仙台市荒浜へ行きました。
そして宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区へ。
以前にも何度か弊ブログでも記事にしました。


仙台市の南にある名取市。


閖上(ゆりあげ)地区は名取川の河口にある地域です。

map1
赤が津波の到達地、紫が住宅の多くが流された地域です。
津波は5キロくらいの内陸にまで達しています。

map2
(Google Earthより)
名取川河口や海岸沿いに市街地がありましたが・・・

map3
(Google Earthより)
海岸沿いの市街地が津波ですっかり消滅してしまいました。

閖上地区には7300人の住民がいらっしゃって、震災時には約4000人のひとが在宅していたといわれます。
そのうちおよそ760人の方々が津波の犠牲に亡くなりました。
写真で見るように、平らな場所で逃げるところがありません。

「閖上」と書かれたあたりに、小高い日和山に上って周囲を眺めてみました。

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仙台市立荒浜小学校と荒浜 [3.11以後]

今年の3月のことです。
息子と一緒に東日本大震災の被災地を巡る旅行をしました。
テレビでの情報しか知らない息子に、その目で一度は見た方がいいよ、というので親子というか男2人旅です。

岩手県陸前高田市、宮城県気仙沼市、石巻市をめぐり、さらに南下して仙台市へ行きました。


仙台市中心部から東に約10km離れた太平洋岸の荒浜地区

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荒浜には、古くからの集落と新しい団地があって、約800世帯、2200人の人たちが暮らしていました。

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しかし震災で荒浜集落も松林も壊滅してしまった。
津波で186名もの方の命が奪われました。

P1180873
海岸線から約700m内陸にある荒浜小学校には91人の児童が通っていました。
地震のあと、児童や教職員、さらに地域住民の方々を含め320人がここに避難しました。
避難すべき高い建物はここしかないからです。

P1180875
津波は小学校の2階にまで達します。
避難した方々は4階や屋上に集まり、壊された校舎で寒さに震えながら一昼夜を過ごしました。
そして翌日3月12日に、屋上から自衛隊のヘリコプターで救出されました。


2012年10月に訪問したときの荒浜小学校の校庭。
津波で流されたバイクや農機具の墓場になっていました。


そして2012年には破壊された体育館が残っていました。
この体育館とプールは2013年2月に取り壊し。
そのとき児童や卒業生、地域の住民たち約400人が集まって「お別れ会」を開いたそうです。
 ⇒日本経済新聞「被災体育館に児童らお別れ 仙台市の荒浜小」
   :http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1700L_X10C13A2CR8000/

 

荒浜小学校はその後、2011年4月から仙台市立東宮城野小学校南校舎で授業を再開。
2そして016年3月31日で閉校し、4月からは仙台市立七郷小学校に統合されました。
この校舎は震災遺構として保存し、2017年4月30日から一般公開を行っています。
とんちゃんたちが行ったときはまだ公開前でした。
 ⇒震災遺構 仙台市立荒浜小学校

 

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石巻市大川小学校跡から門脇小学校跡、そして日和山から [3.11以後]

今年の3月のことです。
息子と一緒に東日本大震災の被災地を巡る旅行をしました。
テレビでの情報しか知らない息子に、その目で一度は見た方がいいよ、というので親子というか男2人旅です。

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宮城県気仙沼市から北上して岩手県陸前高田市へ行き宮城県南三陸町に宿泊。
そこから南下して、石巻市へ向かいました。
立ち寄ったところを地図に記しています。

海岸沿いの国道398号を走っていると途中で展望台があったので、車を停めると・・・

P1180816
三陸復興国立公園」の展望台。

以前は陸中海岸国立公園でしたけど、震災後に青森県の種差海岸階上岳県立公園と八戸市鮫町を編入して、2013年に「三陸復興国立公園」になりました。
さらに2015年に南三陸金華山国定公園を編入しています。
なので、ここは2015年から「三陸復興国立公園」になったようです。

P1180820
展望台からの眼下の白浜海岸と対岸の雄勝半島が見えています。

ここで思わぬものに遭遇しました。

P1180817
新しい慰霊碑がありました。
東日本大震災物故者諸精霊之碑」です。

P1180818
後ろには白い菩薩像が立っていました。

 

さらに海岸沿いに北上川河口に向かい、少し上流にある石巻市立大川小学校跡へ行きました。

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宮城県南三陸町の被災とさんさん商店街の周囲 [3.11以後]

今年の3月のことです。
息子と一緒に東日本大震災の被災地を巡るツアーをしました。
テレビでの情報しか知らない息子に、その目で一度は見た方がいいよ、というので親子というか男2人旅です。


宮城県気仙沼市から岩手県陸前高田市へ北上し、Uターンして宮城県南三陸町で宿泊。

南三陸町というと、防災対策庁舎から防災無線で「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」と町民に避難を呼び掛け続け、自らが津波の犠牲になった町職員遠藤さんの悲劇があった町です。

googleアースで被災前後の様子を見ることができます。

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被災前の市街地。
右手の赤い文字のところが、泊まった明神崎荘のあるところです。
町の中心部のが防災対策庁舎のところです。

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津波被災後の様子。
建物が流されたところが白くなって見えます。

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津波は赤い部分を襲い、青い部分の家屋が流されました。

2011年2月末日現在の住民基本台帳では人口17,666人、5,362世帯だった南三陸町。
震災による犠牲者は、死者620人(直接死600人、間接死20人)、行方不明者211人もいらっしゃいます。
建物は、全壊3,143戸(世帯数の59%)、半壊・大規模半壊178戸(3%)で、6割の建物が壊されたのです。

 

そんな南三陸町の被災地にリニューアルオープンした商店街に立ち寄りました。

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震災遺構:奇跡の一本松、道の駅高田松原を見て [3.11以後]

今年の3月のことです。
息子と一緒に東日本大震災の被災地をツアーしました。
とんちゃんは、弊ブログでもときどき記事にしたように、被災地に立ち寄っていました。
でも息子はテレビでの情報しか知らない。
その目で一度は見た方がいいよ、というので親子というか男2人旅をしました。


昨日に引き続き岩手県最南端の陸前高田市。


市街地の青いところが家屋が流されたところ。
青い部分の真ん中あたりの抜けている部分は、浸水した農地です。

左にある気仙川河口近くへ向かいました。

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昨日の記事は、気仙川河口 近くにあった陸前高田市立気仙中学校。

今日はかの有名な震災遺構の「奇跡の一本松」、そして「道の駅高田松原」です。

 

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震災遺構:陸前高田市立気仙中学校旧校舎 [3.11以後]

今年の3月のことです。
息子と一緒に東日本大震災の被災地をツアーしました。
とんちゃんは、弊ブログでもときどき記事にしたように、被災地に立ち寄っていました。
でも息子はテレビでの情報しか知らない。
その目で一度は見た方がいいよ、というので親子というか男2人旅。

そのときの記録をしばらくアップします。
もちろん「食」もあります。


まず、昨日の記事にあった宮城県の一番北にある気仙沼市に行きました。
そして北上してお隣、岩手県最南端の陸前高田市へ向かいました。


陸前高田市は山が海に迫っている地形のため、海岸近くの狭い平地に街がつくられてきました。そこに東日本大震災の大津波が押し寄せてきたため甚大は被害を被りました。


赤い部分が津波の浸水地域。
陸前高田市の市街地全体が浸水しています。

青い部分が家屋が流されたところ。
青の真ん中あたりの抜けている部分は、浸水した農地です。

左にある気仙川河口近くへ向かいました。

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気仙川河口 近くに、陸前高田市立気仙中学校があります。

P1180727
震災遺構となっている「気仙中学校」。
鉄筋コンクリート3階建ての建物自体に大きな損傷はありません。
けれども、中はすっかり破壊されています。

敷地内、建物内部は立入禁止なので、外から写真を撮ってます。

3階の屋上を見ると・・・

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気仙沼市の復興商店街で [3.11以後]

今年の3月のことです。
息子と一緒に東日本大震災の被災地をツアーしました。
とんちゃんは、弊ブログでもときどき記事にしたように、被災地に立ち寄っていました。
でも息子はテレビでの情報しか知らない。
その目で一度は見た方がいいよ、というので親子というか男2人旅をしました。

昨日の記事のように、まず宮城県の一番北にある気仙沼市に行きました。


宮城県の太平洋沿岸の一番北にある市です。

やや古い話ですけど、「気仙沼」というと「欽ドン!」に出演していた「気仙沼ちゃん」をご存知の方もいらっしゃるでしょう。1977~1978年にフジテレビ系で放送していた「欽ちゃんのドンとやってみよう!」という番組に出演していました。
彼女はその後結婚して、気仙沼市大島にある民宿「気仙沼ちゃんの宿 アインスくりこ」の女将をしています。
東日本大震災で被災しましたけど、営業を再開しています。
 ⇒気仙沼ちゃんの宿 アインスくりこ:http://kesen-kuriko.wixsite.com/kuriko

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そんな大島もある気仙沼市。
そこでの津波被災のことと昨日の記事の仮設商店街のことを少し書きましょう。

 

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高野病院のこと [3.11以後]

福島県広野町の高野病院のことを記事にしました。
その高野病院に関する情報をまとめておくことにします。

◆弊ブログの記事

高野病院は、1980年にいわき市に隣接する広野町で開設された内科と精神科の個人病院で、地域医療の充実に貢献してきました。
 ⇒高野病院HPhttp://takano-hosp.jp/

広野町は、福島第一原子力発電所から20km圏ラインのすぐ外に位置します。
3月13日に、町は全町民に対して避難指示を発令し、政府は4月22日に福島第一原子力発電所の半径20~30kmの地域を「緊急時避難準備区域」に指定し、町民が避難させられた。
そして同年9月30日に避難指示区域の指定が解除され、避難していた役場は2012年3月1日になって広野町に戻った。

高野病院は、一時、入院患者の多くを他の病院に避難させましたが、その後、多くの患者が病院に戻り、現在も約100人の患者が入院しています。
その高野病院の院長・高野英男氏が昨年12月30日に火事で亡くなられた。
病院継続に向けて困難な状況にあること、また町が寄付を募っていることなどを記事にしました。
 ⇒原発に一番近い病院院長の孤独な死を悼む
    :http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2017-01-01-2
 ⇒原発被災地・広野町の高野病院を支援したい
    :http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2017-01-15-1

 

広野町は「ふるさと納税制度」の仕組みを使って寄付を募っています。
 ⇒
地域医療を守るため原発事故後唯一留まった高野病院を支援します
  :https://readyfor.jp/projects/hirono-med

 

 

◆高野病院の現状:尾崎章彦氏の記事

院長が亡くなられてから現在までの状況は、「高野病院を支援する会」事務局長の尾崎章彦氏(南相馬市立総合病院医師)が、レポートを公表しています。

 ⇒「地域医療より箱物行政の福島県、高野病院を見殺し あきれた行政の対応に立ち上がったボランティア医師グループ」:http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48855 JBpress(2017年1月6日)

 ⇒「院長がご逝去された後の高野病院の窮状とこれまでの福島県の対応
  :http://medg.jp/mt/?p=7272 医療ガバナンス学会 メールマガジン(2017年1月19日)

 

福島県を含めた協議が行われましたが、4月以降については全く不明という現状です。

 

 

◆書籍での紹介

震災直後から病院を維持する困難はそれは大きく、高野病院の関係者の努力は大変なものでした。
そうした震災後の様子は本にも書かれました。

朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠 3』(2013年、学研パブリッシング)
東京新聞編集委員 井上能行『福島原発22キロ 高野病院奮戦記 がんばってるね! じむちょー』(2014年、東京新聞出版局)

 

プロメテウスの罠 3 福島原発事故、新たなる真実 プロメテウスの罠シリーズ

プロメテウスの罠 3 福島原発事故、新たなる真実 プロメテウスの罠シリーズ

  • 出版社/メーカー: 学研プラス
  • 発売日: 2013/01/29
  • メディア: Kindle版

 

 

 

福島原発22キロ 高野病院奮戦記  がんばってるね! じむちょー

福島原発22キロ 高野病院奮戦記 がんばってるね! じむちょー

  • 作者: 東京新聞編集委員 井上能行
  • 出版社/メーカー: 東京新聞出版局
  • 発売日: 2014/03/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

 

 

◆高野病院理事長・高野己保氏の記事

昨年1年間、高野病院理事長の高野己保さん(高野院長の娘さん)による、高野病院の現状報告や問題提起が医療ガバナンス学会メールマガジンに掲載されていました。

本に書かれていない、多くの問題がそこには具体的に報告されています。

「原発被災地の医療は今」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第1回(2016年1月19日)
「地域医療はだれのもの?」 福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第2回(2016年1月19日)
「データは本当に正しいの?病床は本当にいらないの?」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第3回(2016年3月3日)
「避難と外部からの支援の途絶と」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第4回(2016年3月9日)
「そこに存在してはいけないとされた病院」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第5回(2016年3月10日)
「診療報酬改訂の荒波で病床が流される」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第6回(2016年7月18日)
「加害者がルールを決めるの??」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第7回(2016年8月26日)
「就業規則を改定しましょう!!」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第8回(2016年9月29日)
「地域医療を考える人はだれ??」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第9回(2016年10月25日)
「和解の本当の意味は??」福島県双葉郡広野町・高野病院奮戦記 第10回(2016年11月22日)

今年になって、まだ新たな記事は掲載されていません。
昨年末に高野院長が亡くなり、病院の継続問題が大きな課題となっているためでしょうか。

理事長の高野さんは、福島県に、病院は無償で提供することを提案していますが、県からの回答はないようです。 地域医療を守るために前向きな方向に向かってほしい。

なお、2月26日にいわき市で高野英雄院長のお別れ会が開催されるそうです。
改めてご冥福をお祈りいたします。


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原発被災地・広野町の高野病院を支援したい [3.11以後]

1月2日に、福島県双葉郡広野町にある高野病院院長の高野英男さん(81)が亡くなったらしいという記事をアップしました。
 ⇒原発に一番近い病院院長の孤独な死を悼む:http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2017-01-01-2

その後のことを中心に記事にします。

 

◆高野院長の死

2016年12月30日午後10時半ごろ、高野病院の隣にある高野英男院長の自宅が出火。
室内から発見された男性の遺体が高野院長らしい、というのが先の記事です。

1月3日に、遺体は高野院長だと福島県警が発表しました。
改めてご冥福をお祈りいたします。

 

◆高野病院と高野院長

広野町は福島第1原発から20~30キロの距離にあります。
その広野町で、高野病院は入院に重点をおいた地域医療に取り組んできました。
入院患者の多くは高齢者の方々です。

その高野病院は、原発事故後も避難せずに入院医療を続け、いまも約100人が入院中です。

双葉郡にたった1つ残った医療機関である高野病院は、地域の高齢者だけでなく、除染など復興作業に携わる“新たな住民”の医療にもあたってきました。
私財を投じ、ご高齢にもかかわらず、まさに身を削るように、その身を地域医療にささげてきたのが高野院長です。

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NHKのETV特集「原発に一番近い病院 ある老医師の2000日」(2016年10月8日)でその様子が放送されました。

その番組が再放送されますので、ご案内します。

来る1月21日(土)午後11時~ 午前0時にEテレ「ETV特集」で再放送されます。
みなさま、ぜひご覧くださいませ

 

2013年までのことは書籍にもなりました。 

福島原発22キロ 高野病院奮戦記  がんばってるね! じむちょー

福島原発22キロ 高野病院奮戦記 がんばってるね! じむちょー

  • 作者: 東京新聞編集委員 井上能行
  • 出版社/メーカー: 東京新聞出版局
  • 発売日: 2014/03/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

 

◆高野病院のその後

問題は、これからの高野病院と地域医療です。

100人もの入院患者がいる中で常勤医の院長が亡くなったのですから、事態は急を要しました。 

広野町町長の遠藤智氏がすぐに対応されました。
12月31日から、浜通り(福島県沿岸部)の自治体・医療機関に要請を行い、南相馬市立総合病院などが支援を表明しました。

また、南相馬市立総合病の尾崎医師や浜通りの有志の医師が「高野病院を支援する会」を立ち上げました。
 ⇒高野病院を支援する会fecebook:https://www.facebook.com/savepatientakano/
 ⇒高野病院を支援する会HP:http://savepatientakano.sakura.ne.jp/

 

1月3日には、広野町の遠藤智町長が記者会見を開き、町が全面的に支援することを表明しました。
そして町長が「高野病院を支援する会」の会長に就きました。
この間のことは、JBpressの尾崎氏の記事が福島県の対応を含めて公表しています。
 ⇒尾崎章彦「地域医療より箱物行政の福島県、高野病院を見殺し
  あきれた行政の対応に立ち上がったボランティア医師グループ」
  :http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48855


現在のところ、2月~3月は東京都立駒込病院に勤務していた中山祐次郎医師が高野病院の院長を務めることになりました。
しかしその後の院長のことは決まっていません。

 

◆クラウドファンディングによる寄付

高野病院の支援のために、全国からボランティアの医師たちが無償で集まっています。

1月9日、広野町は、地域医療の崩壊を防ぐため、インターネット上で資金援助を募るクラウドファンディングを呼び掛けています。
目標金額の250万円は、医師が町に来る交通費や宿泊費の補助費用の約3ヶ月分として算出しています。

また寄付は「ふるさと納税制度」の仕組みを使っていて、所得税や住民税の控除対象になります。
 ⇒地域医療を守るため原発事故後唯一留まった高野病院を支援します
  :https://readyfor.jp/projects/hirono-med

 

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目標の250万円は集まりましたが、2月末まで募金は続いています。

この寄付にご協力いただけますことを呼びかけます。
地域医療を守るため原発事故後唯一留まった高野病院を支援します
  :https://readyfor.jp/projects/hirono-med


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