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上賀茂神社 賀茂氏と秦氏と [ 神社仏閣]

京都に行った時のことです。

今回の京都行では、神社仏閣を観光する予定でいました。
行先の1つは、高校の修学旅行のときの思い出のお寺。
智積院と銀閣寺が思い出のお寺なんです。

もう1つは、古代の有名な神社に行ってみたかった。
候補はいくつかあったんですけど、古代の豪族・賀茂氏の神社である上賀茂神社と下鴨神社に行ってみました。

まずは、山城國一宮の上賀茂神社

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賀茂大社の石碑

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赤い一の鳥居。
観光客がいる。外国人も多いですね。

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鳥居の足の周囲の砂もきちんと整えられています。

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中央に砂利の参道が長く延び、その両側は芝生で明るい参道です

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二の鳥居。
その脇に式年遷宮ですって。
ここも伊勢神宮みたいに式年遷宮があるんですね。


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鳥居の脇に解説板。

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上賀茂神社は、正式名称を「賀茂別雷(かもわけいかづち)神社」といいます。
祭神は賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)
その境内の図。

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上賀茂神社の説明と摂社、末社の説明が書いてあります。

社伝によると、北々西にある秀峰・神山(こうやま)に賀茂別雷命が降臨した。
そして天武天皇の時代(678年)に、現在の本殿に鎮座したという。
つまり神山が神籬(ひもろぎ)である神体山で、その遥拝殿がこの神社ということです。

こんな紹介がありました。

この神社、古くは、神山でお祭りをしておりました
でも、山に登ってお祭りをするというのは、なかなか大変です。
そこで、里へ神様をお迎えしてくるわけです。
その折に、前にございますように砂を盛りまして、神山の木をひいてきて立てて、神迎えをしていました。
神様そっちじゃないですよ、こっちですよ、と迎えてくるわけです。
ところがその後、ずっと神様をお迎えしてこなければなりません。 
それもなかなか大変なことなので、ご本殿ができます
ご本殿の中に御帳台(みちょうだい)と言って今のベッドのようなもの。また御神服(ごしんぷく)をいって皆さんの着てるような服ではなくて昔の偉い人が着ておられた着物や食器が準備されます。
そうしますとそこに神様が常に居られるわけですから、こうい高い木を立てておいたら危ないというわけで、短くなって今は松の葉を立てて、その形を残した、立砂(たてずな)と言っているものが残っています。
今も一般の人が拝んでいただく所、正面には本殿がありません

この菱戸を通して神山という山を拝んでいただくと言う形を取っているお社です。 

上賀茂神社権禰宜・藤木保誠氏「上賀茂神社について」
 :http://www.kyoto.zaq.ne.jp/tyrannosaurus/tanken3.html


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式年遷宮の事業への協力のお願い。 
2015年10月に本殿の正遷宮が行われ第1期事業が終了。
いまは第2期事業が行われ、2020年3月まで続くようです。

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ヒノキ皮葺き屋根のヒノキ皮に願いことを書いて寄付することができるそうです。

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二の鳥居を入ると細殿。その前に「立砂(たてずな)」。 

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後ろの建物が細殿。

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賀茂別雷が降臨したという上賀茂神社の北2kmにある神山(こうやま)を模して作られたもの。
神山が神籬(ひもろぎ)なのはわかります。

しかし立砂はなんで2つあるんだろ?

そう思ったら、これは陰陽道から来ているんだそうです。

最近はやりで「陰陽道」安倍晴明様、「陰陽師」、映画にもなりました、本もあります。
その陰陽道の安倍晴明の先生、安倍晴明に術を教えた人は、上賀茂の人です。
安部晴明という人と同じ様な占いをしていたお社でもあります。ただ、安倍晴明さんが出てきた後、近世になってからは、そうした占いを行わなくなってきます。
ですから、上賀茂神社の盛り砂、「立砂」(たてずな)と言いますが、先程の神様が降りて来られる印を立てる木、あの木も二つあります。陰と陽なんですね。 
(中略)
ここに大きな「立砂」があります。二つありますのは陰と陽です、上にはが立っています。
その松、3本の松と2本の松がついています。
向かって左が雄松、右が雌松といわれ、左が3本の松右が2本の松になります。
葉が2本の松はどこにでもある松。でもここにある松は、3本の松は二の鳥居を入った左の玉垣沿いに一本あります。

上賀茂神社権禰宜・藤木保誠氏「上賀茂神社について」
 :http://www.kyoto.zaq.ne.jp/tyrannosaurus/tanken3.html

立砂には松葉が立っていて、左の3本が陽数、右の2本が陰数なんだそうです。奥が深いですね・・・
(上賀茂神社細殿 立砂の謎:http://www.geocities.jp/yamauo1945/tatezuna.html

で、 「陰陽道」安倍晴明の師は賀茂忠行なんだそうです。
上賀茂神社と陰陽道・・・それもまた面白そうです。

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清めの砂が売られています。

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菰樽がいっぱい積まれているのが気になります。(*^^*)
黄桜、月桂冠、白鶴、聚楽第、金鵄(きんし)正宗、白雪、松竹梅、神蔵(かぐら)、英勲、富翁、神聖、玉乃光、古都、沢の鶴、京姫。
聚楽第と古都(佐々木酒造)、神蔵(松井酒造)は京都洛中、白鶴、沢の鶴は灘、白雪は伊丹、それ以外は伏見の蔵元です。

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桧皮だけでなく、ヒノキ自体を植樹する献木もされています。
苗木1本5万円。

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このヒノキの苗木を植えるんですね。

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こちらは桧皮の現物。1枚2千円です。

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手を洗い口を漱いで境内へ入りましょう。

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参拝所から中へ・・。

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本殿で参拝できる特別参拝ができるそうです。
しかも7月9日~9月30日の期間限定ですって。
「限定」で本殿に参拝できるって聞くと、そりゃぜひやってみたくなります。

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拝観券のとして「浄掛」をいただきます。

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こんな感じに「浄掛」を肩にかけます。

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この「浄掛」には、社殿の屋根を葺いた桧皮古材が使われているそうです。

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正面左側の直会(なおらい)殿へ案内されました。

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この直会殿で、「浄掛」を肩にかけて神主さんから説明を受けます。
さらにお祓いをしてもらってから本殿へ。

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奥の方に見えるのが本殿
その手前の大前で説明を受けました。
1994年に天皇皇后が来られたときには、札が立っている本殿のすぐ近くで参拝したそうです。

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一般人はも少し下がって、賽銭を投じて参拝します。

うまく写真が撮れなかったのですが、本殿の脇には狛犬が置かれています。
今ではみな「狛犬」と呼んでいますけど、向かって右が狛犬で、左が獅子なんです。
右側にある角のある口を閉じたものが狛犬で、左側に角のない口を開いたものが獅子なのです。

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向かって右の14番が本殿、その左の15番が権殿
この2つは同じ作りの社殿で、通常は本殿に祭神が祀られています。
式年遷宮の本殿建て替えのときに、祭神を権殿に移して、権殿が仮の本殿になります。

本宅の改築中に住まう別宅が、ちゃーんと用意されている、ということですね。(*^^*)

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1628年に徳川家光によって造り替えられた「庁屋」。
神事のお供え物である神饌(しんせん)を調理したり、神職たちが集まって会議をする場所です。
2015年に行われた本殿の正遷宮で、神宝も新調されたので、以前の神宝をここで見学することができました。
ここで角のある口を閉じた狛犬角のない口を開いた獅子があったんです。
でも実は、あんまり興味がなかったので写真に撮らなかったんです。残念なことをしました。

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庁屋近くにある「ならの小川」。

「百人一首」の中にも詠まれている川です。
「風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」藤原家隆

しかもここは、テレビのロケ地として頻繁に使われているそうです。


最後に神話と歴史のはなし。 

下鴨神社から糺(ただす)の森に瀬見の小川があります。
京都の北を支配していた賀茂氏一族。
その姫である賀茂玉依姫命(かもたまよりひめのみこと)が、その瀬見の小川で禊(みそぎ)を行っていると、一本の矢が川上から流れてきた。
その丹塗矢を床の辺に刺し置いていたところ懐妊し、男の子を授かる。
成長した子に父親は誰かと問うと「私の父は天の神です」と答え、雷鳴とともに天上へと上ってしまう。
姫が子に会いたいと願うと夢のお告げで「葵の葉でかずら(かんむり)を編み、祭をして待て」とあり、そのとおりにしたところ、子が神山(こうやま)に降りた。それが上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命です。

玉依姫の父は賀茂建角身命、母は丹波国神野の伊賀古夜比売命(伊可古夜日売)。
玉依姫と父・賀茂建角身命は下鴨神社の祭神です。

玉依姫は丹塗矢で妊娠して賀茂別雷命を生んだということですが。
ではその父はいったいだれか?
矢はいったい、誰だったのか?

『山城国風土記』逸文には「丹塗矢は、乙訓の郡の社に坐せる火雷神(ほのいかつちのかみ)なり」とあります。
雷神の父は雷神。これは分かりやすいです。
その神社が京都府長岡京市の角宮神社か、京都府向日市の向日神社か意見が分かれていますが、ここではどっちでもいいです。

むしろ丹塗矢は大山咋神(おおやまくいのかみ)の化身だという『秦氏本系帳』に注目です。
賀茂別雷命は大山咋神の子ということになる。
大山咋神松尾大社の祭神で、松尾大社は秦氏の神社です。

山城国に豪族・秦氏があったからこそ、平安京への遷都が行われた、という歴史があります。
その秦氏と賀茂氏が緊密な関係にあった、ということが先の神話に表現されているわけです。

平安京遷都と上賀茂神社については、こういう紹介があります。

平安時代になって、天皇陛下の、お住まいが奈良から京都に移って来ます。
その前に長岡京という所に移って、京都に入って来られる訳ですが、その時に上賀茂神社は、既に建っていました
上賀茂神社が北東の位置に当たるように上賀茂神社の南西の方向に御所を建ててます。
要するに上賀茂神社が「きもん」、「鬼」の「門」と書いて「鬼門」といいますが、鬼門になる様に建てています。
要するに悪い者がそっちから入って来るんですね、入って来ないように上賀茂神社に防いでもらおう、という事で、上賀茂神社が、「鬼門除け」になる様に、わざわざ御所を建ててるんです。
だから御所の守り神として昔から信仰のあるお社でもあるわけです。
上賀茂神社権禰宜・藤木保誠氏「上賀茂神社について」


ちなみに秦氏は、中国の秦とは無関係。
朝鮮半島からの渡来人で、百済系か新羅系か議論があります(このブログでも両方書いてある)。
百済から来た弓月君が祖先なので百済系と思っていました。
しかし後に新羅となる辰韓の「波旦」(ハタ)が出身地とする説が有力と思います。
場所としては辰韓ですが、新羅となる斯蘆(シラ)国とは対立関係にあったので、新羅出身ということではない。
弓月君が日本に渡来するのを新羅が妨害した、という日本書紀の記述はそういうことなのでしょう。

平安京遷都を牽引した秦氏ですけど、その秦氏の神社が山城国一之宮にならないのは、遅れてきた渡来人だからでしょう。
上賀茂神社と下鴨神社を山城国一之宮にしたのは、その力のある秦氏が賀茂氏が密接になったためでしょう。 
賀茂氏の出自は、下鴨神社の記事に書こうかな・・。

ということで、次に下鴨神社へ向かいました。


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