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謎が多い宇佐神宮と八幡神 [ 神社仏閣]

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大分県宇佐市に泊まりましたから、せっかくなので、宇佐神宮を見学に行きました。

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表参道商店街を抜けたところにある一之鳥居。

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宇佐神宮の由緒が書いてあります。

ここは全国に4万社余りある八幡宮の総本宮。
神代に比売大神が大元山に降臨し、571年に応神天皇の神霊が八幡神として現れた。
725年に応神天皇を一之御殿に、731年に比売大神を二之御殿に、823年に神功皇后を三之御殿に、それぞれ鎮座した。
東大寺大仏建立のときに八幡神が上洛したり、和気清麻呂が天皇即位にかかわる信託を賜わったことで有名。


祭神は、応神天皇、比売大神、神功皇后ということで、応神天皇が八幡神ということ。
これら祭神については最後に書きます。
 
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大鳥居。

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西大門を抜けて上宮へ。

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上宮の本殿には先述の3祭神が祭られています。
応神天皇(一之御殿)、比売大神(二之御殿)、神功皇后(三之御殿)が向かって左から順番に並んでいます。
通常だと、中央に主祭神あるはずなのに、どういうわけか右端なんです。これはすごく変。
写真は比売大神を祀る中央の二之御殿。

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神功皇后を祀る三之御殿。

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祭神についての再度の説明。

宇佐八幡は、参拝の作法も変っています。
普通は、二拝(礼)・二拍手・一拝(礼)ですけど、ここは二拝(礼)・四拍手・一拝(礼)なえんです。
出雲大社もこの作法です。

この上宮から分祀された下宮があるので、そちらも参らなければ「下宮参らにゃ片参り」と言われるそうです。

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途中にある若宮神社。
応神天皇の若宮の鷦鷯命(仁徳天皇)と他の皇子を祀っている。

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下宮。やはり中央が比売大神を祀っているところ。

宇佐神宮について、少し説明してみます。
読むに値する記事でもありませんが・・・。

◆全国の八幡宮

宇佐神宮は全国の八幡神社の総本宮ということですが、では全国の八幡宮の数はどんくらいか。
神社本庁が1990年から1995年にかけて実施した「全国神社祭祀祭礼総合調査」によると、79,355社のうち、祭神が明確に判明したのは49,084社で、そのうち八幡神を祀る神社は7,817社だそうです。
2位の伊勢が4、425社、3位の天神が3、953社ですから、ダントツ1位です。

由緒書きに、宇佐八幡は全国に4万社余りある八幡宮の総本宮だ、とありました。
宇佐神宮のHPには「全国約11万の神社のうち、八幡さまが最も多く、4万600社あまり」とあります。
全国11万社というのは、明治になって「神社整理」が行われ、19万社が11万社になったときのものでしょう。
それからも神社の数は減っていますから、神社本庁が把握していないものがあるとしても、もっと少ないのじゃないかと思います。

◆宇佐神宮のすごさ

由緒書きで、東大寺大仏建立のときに八幡神が上洛したり、和気清麻呂が天皇即位にかかわる信託を賜わった、とありました。どういうことかというと・・

東大寺に大仏を建設する際に、宇佐八幡は建立費を送り、鋳造後の749年には禰宜(巫女)が大仏を礼拝しているんです。その禰宜はシャーマンなので、禰宜に寄り付いて八幡神が上洛したというわけです。

和気清麻呂云々は「宇佐八幡宮神託事件」と呼ばれるもの。
女帝の孝謙天皇が弓削道鏡を寵愛し、自らは称徳天皇として復位して、道鏡を太政大臣と法王にし、さらに皇位につけようとした。
769年に宇佐八幡が、道鏡を帝位に就けるよう神託を出したことから、和気清麻呂がその真偽を確かめに宇佐八幡へ向かい、正反対の神託を持ち帰る、という事件です。
宇佐八幡神は皇位を左右する神託をもたらす力を持っていたというわけです。

◆記紀に登場しない

ところが、そんな宇佐神宮は、「古事記」にも「日本書記」(720年完成)にも出てこないのです。
にもかかわらず、その数十年後には上記のように、すごい神社になっている。
短期間に猛烈に地位を高めているんですね。
こうして宇佐神宮は非常に不思議な神社なのです。

◆祭神の変遷

なぜそんなことになったのか、いろいろと研究されているようです。
宇佐神宮を祀る勢力が変遷し、祭神が変化したのがその理由で、ここに簡単にメモしておきます。

由緒にはこうありました。神代に比売大神が大元山に降臨し、571年に応神天皇の神霊が八幡神として現れた。
HPには、比売大神は八幡神が現われる以前の古い神、地主神として祀られ崇敬されてきた、とあります。
宇佐宮を最初に祀ったのは宇佐氏で、御許山(大元山、おもとやま)を神体山としていて、今も宇佐神宮の奥宮です。

宇佐氏の祖は、菟狭津彦(うさつひこ)と菟狭津姫(うさつひめ)とされ、両名の祖は天三降命(あめのみくだりのみこと)とされています
神話では、神武天皇の祖である瓊々杵尊(ニニギノミコト)が天孫降臨するのですが、それに先だって、天津国より天降った神がいます。それが饒速日命(ニギハヤノミコト)で、その天下りに随伴したのが天三降命です。
しかもその天三降命は宗像三神と同体とされている。
宗像三神とは、天照大神と素戔嗚尊(スサノヲ)との間に生まれた、多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売(古事記)の三女神のこと。
『日本書紀』の第3の一書には、その宗像三女神が「宇佐嶋」に降臨したとあり、宇佐神宮はこれを宇佐の地としています。
御許山の山頂にある三巨石が三女神だということになるわけです。
そしてその宗像三神が比売大神に統一されるようになるようです。
歴史的な順序がどうだったのかは、わかりませんが、宇佐氏が大和政権下に編入される中で、御許山の山頂にある三巨石を天三降命=宗像三女神=比売大神と仰ぐ神話ができあがっていったようです。
こうして宇佐神宮の当初の主祭神は比売大神ということのようです。
現在の宇佐神宮で、比売大神が中央(主祭神の位置)にいるのは、理由があるわけです。

では八幡神はというと、新羅系の渡来人の辛嶋氏が持ち込んだもの。
さらに大神氏が応神信仰を八幡神に融合させ、八幡神=応神天皇としたらしい。
その変遷は実はよくわからない。
じっくり勉強してみたいところです。

宇佐神社が短期間に猛烈に地位を上げたことの背景は、当時の政治状況があったようです。
宇佐神宮の建立は725年です。
702年の薩摩隼人の乱、720年の大隅隼人の乱があり、その平定後に社殿が建立されています。
隼人の鎮圧による九州の平定。
この歴史の中に宇佐神宮が重要や位置を占めることとなった。
祭神の変化とこの歴史的な位置との双方が関係しあって、宇佐神社がの地位が急速に高まったようです。
歴史の勉強として興味があるところです。 

◆宇佐神宮の本宮

宇佐神宮は「全国八幡宮の総本宮」ということになっていますが、実はその宇佐神宮のさらに本宮があるんです。
太宰府の北東約14kmの大分(だいぶ)というところある大分宮だそうです。
宇佐神宮の託宣集に「我か宇佐宮より穂浪大分宮は我本宮なり」とあるから、そうなんでしょう。
(大分宮の創建は726年で、一之御殿創建の725年より後ですが)
大分宮は未見ですけど、福岡の筥崎宮に行った後で書いた記事で、八幡神について触れました。
筥崎宮と大分宮について:http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2010-09-12-8


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